mammamia!

 

年若の暗殺者は何事もなく与えられた任務をこなし、帰り着いた本部のロータリーで車から降りた。付近には同じく任務より帰還した年輩の同僚数人の姿もあったが、彼はその脇を会釈もせず通り過ぎて行く。不遜な態度は確かな実力に裏打ちされたものであるだけに、少年剣士の力量には遠く及ばない者達は、彼等への配慮を欠いたそれにも不平を押し込めるしかない。

否、むしろ痩身を追う視線には、畏怖と憧憬が込められていた。

傲慢な鮫は己が何かにつけ他隊員から気にされているのは自覚している。しかしながら心底どうでも良かったので、塵芥のごとき彼等が己に対して正負どちらの想いを宿しているのかなどには、思いを至らせたりしない。

スクアーロは露ほども感じていないように熱の籠もった眼差しをさらりと流し、歯牙にかけず大股に闊歩する。

そのようにあくまでも普段通りに振る舞い涼しい顔で玄関ホールを離れた少年は、人の気配が確実に途絶えた所で、唐突に左腕をきつく握りしめた。

揃いで作られた剣を嵌め、括ったままの冷たい金属の義手。

その硬い無機物に接続された生身が、負担にこれ以上は耐えきれないと泣き言をいっている。

鋼の左手はいっそ慎ましくあるのに、右手が握りしめた骨と絞った筋肉で固いばかりの生身の細腕は、瘧にかかったようにぶるぶると小刻みにぶれてちっとも大人しくしてやしない。着用している隊服が薄手のシャツであるにしても、革手袋越しに感じる体温を熱いと認識するのは可笑しい。

ただし、間違いを正すならばスクアーロが高熱を捕らえる事が出来たのは左腕の手柄ではなく、それが全身を襲っているからだ。当然、少年が熱いと思ったのは左腕を掴んでいる右手の体温だ。彼は自覚していないが、最早どこが発熱しているかも分からない状態に陥ってすらいた。

もし肩がぶつかる程度にでも他人が接触すれば、その相手は少年を熱源として温まった空気を感じとって即座に彼の不調を悟っただろう。

しかし発熱に反して血の気が失せたスクアーロの肌は常の如くに青白く、おぼつかない様子を一つとして見せない本人の強情張りと相まって、尊大な鮫の異常に気づく者は遠巻きにしている隊員等の中には居なかった。

少年が主と認めた、二つ年上の御曹司が相手ならば容易く体調不良を見咎められた筈である。

だが、くだんの御曹子は昨日スクアーロが任務に出る数刻前に、とある会合に出席するためボンゴレ・ファミリーの本邸へと赴いている。3日の開催が予定された、それなりに重要な顔合わせも兼ねた歓談が繰り上がることはまずはない。

「逆に…都合が良いぜぇ」

神経を苛むのは、筋が攣ったような痛みだ。ただし、過去に経験したのは今とは比べるのも烏滸がましいくらいに軽度なものだったが。

さらに手術をした切断面を、穿られ引き絞られるような痛みが襲わっている。このダブルコンボは笑えるくらいに強烈で、いっそ脳内麻薬が過剰分泌されてハイになれそうだが、事はそう上手くは運んでくれない。

スクアーロは鋭利な責め苦に堪えきれずに、とうとう廊下の壁へ肩を押しつけ、倒れるのを防いだ。

白い壁面に縋りつき、熱い息を吐いて苦悶に喘ぐ少年からは、内面の幼さが僅かに覗く。

歳による容姿の幼さは周知だが、日頃から餓えた鮫のように物騒な闘気をまき散らし、誰彼構わず不遜な態度で接している彼の内面にまだ残る、子供っぽさとは違う幼さを知るのは主くらいである。

むしろ既に絶対君主としてヴァリアーを掌握するザンザスと、その次席に相応しいスクアーロの常からは想像もつかないガキくさいやりとりを偶さか前にした不幸な人間は、我が眼を疑い硬直するのがセオリーである。

スクアーロに言わせれば主だの一言で終わってしまうのだが(この辺が鈍感だ、空気を読めと言われる所以である)、なにかひとつでは括るには不可解な、単純だが多角多面で厄介な関係を二人は築いていた。

それを形成しているものが情だと言えば、その複雑ぶりも増すというものだ。

「だっせぇ」

周囲に青臭いガキっぽさは見せても、忠誠を誓った主以外には幼さを見せない剣士は、額に滲む冷たい汗がいよいよ滑りおちたのに、癖は強いが整った相貌へその年齢には不釣り合いな自嘲を浮かべた。

片手を失った後遺症なのか、血の巡りが悪く青ざめているせいで一見そうは見えないのだが、前髪や衣服の下に隠れた肌は確かに発汗していたのだ。

つうっと項を流れ落ちていく雫に、彼はまろみを残した頬をより一層歪ませる。

こんな無様な姿、とても主には見せられない。

剣帝と死闘を繰り広げ手腕を失ってから、まだ三月。

一分一秒も惜しく、傷口が一応は腐食しないギリギリの線だという所まで塞がってからすぐに義手をつける為に必要な手術を施した。

仕えるべき主君に言って、義手本体の方も早急に作ってもらった。通常ならば何ヶ月も掛ける所を短期間で仕上げさせるのに、御曹司はかなり横暴な手段を取らざる得なかった筈で。立場を悪くする真似をさせるのは悪いと慚愧の念を抱きはしても、こればかりは譲れなかったので敢えてスクアーロもワガママを通させて貰ったが。

しかし端的に言ってしまえば、満身創痍でろくに身動きも取れない怪我人の無茶苦茶な要求は、役立たずのガキの戯言に他ならなかっただろう。

少年の願い通りに一月足らずで義手を製作させたとしても、実際に扱えるようになっている可能性は限りなくゼロに等しい。

 

だが、主は叶えた。

 

左手を失ったショック症状に見舞われている、あちこち尖った痩躯を組み敷いて己の熱で貫きながら、獰猛な。

焼き切れそうな憤りと苛立ちを満たした獰猛な笑いを吐き捨てて、喰い殺される畏れとも快感ともつかない痺れをスクアーロの心身にぞくぞくと走らせたザンザスは了承した。

なにを考えてかまではスクアーロの関知せぬ所だが、望みは叶えられた。

そして吐いた大言壮語に違わず医者の顔色を失わせる早さで体を回復させた呆れるほど頑強な鮫は、手術がすんだと同時にさっさとベットから離れ、大人しくリハビリに従事しろと苦言を拳と一緒に拝領しても、闘わなければリハビリになぞならないと高慢に言い放ち、任務をもぎ取って暗闇を泳ぎ回っている。

無論以前からは考えられないほど低レベルな任務しか与えられないのだが、こればかりは文句も言えない。

逆に、口には出さないが流石のスクアーロもありがたいとすら思っていた。

標的一人に護衛十数人相手にしただけだ。

たったそれだけで、義手をつけた左腕は痛覚以外を何処かに置き忘れてきたらしい。挙げ句のはてに、頭が痛みという感覚ひとつに占拠されて、なんとなく熱っぽいという事くらいしか自身の状態を把握できなくなってきた。

「っくそがぁ!」

抱え込むようにして強く握りしめた腕は、中の神経がぴくりくぴくりと引きつるのを直に伝えているのかと錯覚するほど時折大きく痙攣を起こし、継続的に細かく震える。

なんて情けない有様なのか。

己の肉体の脆弱さに憤りが込み上げてくる。

これでは、ザンザスの役に立たない。

 

むしろ、足手まといだ。

 

薄い肉に指がめり込むほどぎりぎりと右手に力を入れるが、これ如きの叱咤ではさらに強い激痛を凌駕することは叶わず、効果は鈍い。後で鬱血するのは確実なのに、なにかが押しつけられているな程度にしか感じられない。

銀色の鮫は、歯を噛みしめて獰猛に唸る。

決してザンザスが気に掛ける必要がないほど、背後を振り返る必要がないほどに強く強くあることこそが、望みだというのに。

腕を失った直後のように無様を晒すなど、二度とごめんだ。

ずるりと重力に引きずられて崩れ墜ちそうな足腰を気力でもって奮い立たせ、スクアーロは凭れていた壁から身体を引き剥がすと、いかにも危なっかしい足取りで自室へと向かう。

誰もが一笑に伏し、予測しえなかった剣帝を倒すという偉業を成し遂げた時点で、勝者である少年剣士の待遇は幹部扱いと定められた。よって、ヴァリアー本部であるこの屋敷でスクアーロに与えられた私室は邸内の奥深くに存在する。

まだ当分は付き合わなければならないふかふかした足下の絨毯を睨み付け、気の遠くなるような遠さを苦々しく思う。

こうでさえなければ、うるさいのに煩わされずにすむと歓迎したろうに。

果てしない道のりに舌打ちして鬱屈とする己を切り捨て、覚悟を決めた少年は辛さに甲高く喚いて抗議する全身を無視し、早足で歩く。

無茶をしても、御曹司が不在の現在はそうそう訪ねてくる相手もいないので、自室のドアを潜った途端に倒れ込んで一晩くらい起き上がれなくなっとして問題はない。

(無心だ、無心。部屋に辿り着くことだけを考えろ)

暗示のようにひたすら己に言い聞かせ、颯爽と自室を目指していたスクアーロに、しかし微笑んでくれる女神はいないようだった。

銀色の鮫はタイミングが悪い。

終始一貫、徹頭徹尾、よくぞ此処までと感心させるほど徹底して、運が無い。

進行方向から聞こえてくる喧噪に、見過ごすのは困難極まりなく物騒な、殺気。

「う゛ぉぉぉい。勘弁しろやぁ」

そうした所で問題は解決しないことは分かり切っているが、力なく頭を抱え、銀色の短髪をくしゃりとかき混ぜたい衝動に駆られる。だがそんな労力も残っていない少年は、変わりとばかりに気持ちばかりで天を仰ぎ、正直な話もう本当に止めてくれと、らしくもなく居もしないだろう神に祈った。

懇願先はまったく信じていないクリストでもいい。

巻き込まれると分かっていて、進むしかないのだ。来た道を戻って他のルートを取るには、最早体力気力の限界が近い――ではなく、メーターはとっくの昔に振り切れていた。

歩くスピードを落として時間を稼いでいる間に騒ぎが収まってくれれば御の字。感激ものだが、勢いを殺せば体調不良を悟られないよう歩行する事は困難を極めること確定である。

冗談ならともかく、惨めったらしく壁に縋って歩いている明らさまにマジだと分かる姿を見られるなど、嫌だ。

餓鬼の意地だとか見栄だとか言われようが、したくない。

このスピードを維持し、真正面から厄介ごとにぶつかるしか道はなかった。

おまけにきっと、渦中に放り込まれるのだ。

絶対。

「マンマミーア…!」

自分が貧乏籤を引く性分だという事を14年の人生で12分に理解しているスクアーロは、母親が死んでからは掛かる対象が自分以外の時(例えば侮辱する時とか馬鹿にするときとか、誰かの母親を聞くときとか尋ねるときとか罵倒するときとか!)にしか口にしたことがない、マンマなぞという響きをもった言葉すら口にして、いっそ意識を失わせてくれと、なににか嘆願した。

後で死ぬほど後悔するのだとしても、今この不幸から逃れられるのならば昏倒することも厭わない。

倒れて運ばれるなんて悶絶死ものの無様を晒そうとも、記憶に残っていないのだ。関係ない。

詰問されても覚えがない、テメェいちゃもんつけるんじゃねぇよとシラを切って切って切り通してやる!とまで覚悟を決めた。

しかし、哀しいかな。そうするには無駄に丈夫すぎるというか胆力があるというか、諦めが悪くそうそう気絶できるような柔な心身をスクアーロはしていなかった。

勝負による無茶やら怪我やら御曹子からの暴力やらに日々晒されて、無駄に耐久性が身についたせいに違いない。

(ちきしょう!虐めに慣れた自分が憎いぞぉ!)

左腕を失って目を覚ましたあの日から、済し崩し的に始まってしまったザンザスとのいわゆる肉体関係。

人が幻視痛やら高熱やらに魘されているのも無視して犯してくれる御曹子との、暴力的で爛れきった行為にすら泣き言を上げなかったというのに。

(いや、まあ別に嫌じゃあないんだけどよ)

なにがなにやら分からない内にザンザスと性的接触を持ってしまったことも、それが繰り返される事も酔狂だとは思うが、嫌悪感は無い。

己が主の意向に添うことは至極当たり前の事で、生きる意味であり生き甲斐だ。

望むなら我が身くらい無条件で幾らだって差し出す。

そこにどう言った意図があるのかはまったくもって不明だが、剣たる自身が気にすべき事ではないし、実際スクアーロにとってはどうでもいいことであった。

スクアーロはザンザスの駒、剣であれれば満足だ。

それ以外に関する事象に気を回す必要はないと思っている。

無論それが生命の危機だとか御曹子の心身を脅かす事に付随するなら、どれほど邪険にされても引き退ったりはしないが、ザンザスがそうしたいと言うならそうすればいいし、彼が決断を下し成す行為に障害になるような関与をするつもりは微塵もない。

気持ちいいが負担が大きい性行為とて、望まれて役立っているのだから、どちらかと言えば嬉しい限りだ。

ただそれがスクアーロ本来の用途や価値から外れ異なってしまっているのは、甚だ不本意で不満だったが文句はない。セックスの度に開く全身の怪我を思えば、嘆息くらいは出てくるにしても。

(大体、たまに恥ずいんだよなぁ)

汗ばんだ肌や、その下の筋肉の動き。

苦悶とも取れる快楽に顰められた面と、侵す身体の一部に、凶暴な笑み。

密事に繋がる要素をザンザスのパーツやちょっとした仕草に見出してそそられても、第三者の存在がある時には衝動の儘モーションをかける訳にもいかないから居たたまれなくなるのだ。

スクアーロは人気があったとてあまり気にしない質だが、行為を匂わせるような行動を取れない手合い。

例えば九代目の部下だとかを前にして、そういう情動を覚えているのは流石に気まずい。

彼等二人がただの上司と部下という枠組みを超え、もっと深い柵を持っている事実はそれなりに有名であるので、上下関係を無視した友人のような態度をとっても、それは別にいい。

調べればスクアーロが以前からあったヴァリアー入隊の勧誘を受けたのが、ザンザスと出会った直後だと言うことはすぐに分かる。その上、テュールとの死闘後に予断を許さぬ重体となった少年剣士を御曹子が己の管轄下に置いたのも隠されていない。

むしろこれらの事実が流布され浸透する以前は、二人の親密さは不可解を持って眺められていた。

ヴァリアーのボス。決闘を入隊の条件にするほどまでに執着した剣帝の坐していた席。

その地位にではなく、座る人物と闘うことそのものを目的としていたにしても、風聞はともかく実力も知れない九代目の御曹子を上の勝手で後釜に据えられたのでは、凶暴な少年は収まりがつかないだろうと顛末を聞いた誰もが予測した。テュールに心酔していた部下達による反感などの問題があるから、打ち倒した張本人たる己が直ぐにその空席を埋められる訳がないと、例え理解はしても、だ。

しかし、再び決闘騒ぎを起こすのではと興味深く注目されていたにも係わらず、剣帝に畏れもなく挑み勝ちをもぎ取った傲慢な少年剣士はそんな素振りを一向に表さなかった。どころか、文句も零さず盲目的なまでの恭順を示している始末。

どう考えても異様であると、ますます耳目を集めたのも仕様のない事だろう。

そこに間をおかず流出した二人の謎の関係を説明するような話。

それを立証するような馴れ合った態度に、双方の間にはなにかあると勘繰らない方が可笑しい。

ともに暴虐無人・傲岸不遜で鳴らした二人が、何らかの繋がりをもって揃っていては手綱がとれぬのではと危険視する輩は掃いて捨てるほど現れた。

いくらなんでもクーデターという、いっそ荒唐無稽な憶測をする者はいもしないが、むしろヴァリアー入隊の条件に剣帝の後釜にはザンザスを据えろという言があったのでは。という噂くらいは飛び交っている。

二人を取り沙汰す大小様々な流言雑語は枚挙に暇がないので、今更その親密さ加減をとやかく騒がれるくらいなんて事はなかったが、ベットの中にまで邪推を及ばせるような行動を取るのは幾らなんでも自重すべきだろう。外聞が悪いので。

とはいえ、これも時間の問題だった。

夜分に互いの部屋を頻繁に行き来し、朝まで出てこないのだから噂にならないはずがない。

双方ともにマズイだろうなと義務のように口にしているが、それほど深刻になるような事でもないと考えているので、昼日中でもそれを匂わせるような言動に及んでいる始末。

下卑た想像をされても、実際それに違わない行いをしている訳である。

特に箝口令も敷いていないので、ヴァリアー隊外にまでこの噂が流れるのも直だろう。

 

帰ってきたら、またやるんだろうかと三日と空けずに押し倒してくれる(たまに自分から乗っかる)今はいない御曹子に思考を跳ばして現実逃避をしても、歩く速度は一定なのでスクアーロは覚悟したとおりに騒動にぶつかってしまった。

 

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